能登半島地震支援活動より
牧 由希子
ACTジャパン・フォーラム事務局
CWS JAPANディレクター 
 新しい年を迎えたその日にまさか大地震が起きるとは、誰も想像できなかったのではないでしょうか。2024年目に能登半島地震が発生し、NCC加盟教派教会も被災したことを知りました。
実は、2022年6月にも能登半島では大きな地震があり、近い将来、大規模地震が発生する予感があり、同年8月、ACTジャパン・フォーラム事務局は北陸を目指して地元教会や支援団体を訪ねました。平時からのネットワーキングが有事の際の迅速な緊急支援につながるからです。しかし、その頃はまだ新型コロナが5類感染症に指定される以前で、東京からの訪問者は招かれざる客となり、残念ながら奥能登では受け入れてもらえませんでした。そんな中、歓待してくれたのが福井キリスト教会の皆さんで、現在、月1回、共に輪島市の被災地に通うパートナーとなりました。
 震災発生から18日後に現地のNPOを訪問しようと金沢入りしましたが、当時はまだ奥能登への道路が復旧せず、宿泊できる施設もありませんでした。他団体も金沢から半日がかりで能登に通っているような状況でした。インフラが壊滅状態となり、多くの被災者が県内外の避難所に散らばりました。今回の震災で初めて1.5次避難所と呼ばれる公共施設を活用した仮設避難所も設置され、現地パートナー候補にと考えていた金沢のNPOは市内の1.5次や2次避難所で炊き出しの弁当配布支援開始を決め、ACTジャパン・フォーラム事務局はなかなか被災地での支援活動が開始できず、苦境に立たされました。
 発災当初から入るなら輪島市と決め、関係各所と連絡調整を進めていたものの、「このまま被災地で支援活動はできないのか?」とあきらめかけた頃、前述の福井キリスト教会から輪島市に炊き出しに行くことになったと思いがけないところから話がありました。そこで、関係者のつてで避難所となっていた輪島市の小学校で炊き出しをすることができたのは、発災後、既に3か月が経過していました。その後も月1回ペースで他府県からボランティアが集まり、炊き出しと今では出張カフェ活動を行っています。
 発災直後はとにかく生命をつなぐための食べ物が必要で、現場で手作りした温かい食事をお渡しすることが目標だったかもしれません。その後、食べ物を提供するだけでなく、被災者との交流を目的としたカフェ運営へと転向していきました。「私たちは朽ちる食べ物のためではんなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働く」(ヨハネ6:27)ことを目指して、食べ物は出会いと交流のためのツールへと変わりました。
    輪島の出張カフェ活動に参加しませんか?
       NCC事務局までご連絡ください!
                    (まき ゆきこ)